『中野ひみつの天神川ツアー』のきろく


2024年11月16日
暗渠マニアックスさんのご案内で「中野ひみつの天神川ツアー」を開催しました。
「暗渠(あんきょ)」とは、地中に埋められ、地上からは見えなくなった川のこと。天神川は、かつて中野サンプラザ周辺を源流とし、桃園川へと合流していた小さな支流ですが、60年ほど前に埋め立てられ、今では地図にも地上にも、その姿はありません。

ではどこへ行ったのか。答えは、まちそのものの中にあります。

道のわずかなうねり、不自然に細くなる路地、妙に多いマンホール、段差のある玄関先……。暗渠マニアックスさんの解説を耳にしながら歩くと、ごく普通に見えていた中野の風景が、突然、違うものに見え始めます。「あ、ここに川が流れていたんだ」という発見が、歩くたびに積み重なっていく。そんなツアーでした。

当日のツアーの様子はこちらから


(この後出てくる場所の番号は、この地図と連動しています。)

①中野駅北口(集合)

集合した中野駅北口。天気は曇り。青い旗が目印です。


街歩きの2つの視点:E&I

「エビデンス(証拠)」と「イマジネーション(想像)」、この2つの視点を持って歩いてください、と暗渠マニアックスの高山さん。

エビデンスとは、川だった痕跡を示す手がかりのこと。路面のわずかなひび割れやテクスチャの違い、不自然に蛇行する道、土地割りの歪み、そして銭湯・染物屋といった水に縁のある施設の存在——こうしたサインが、街のあちこちに散りばめられています。

イマジネーションは、文字通り自由に想像すること。川の上を歩いているとき、「もしここに川が流れていたら何が見えるか」を想像してみる。土手に見える建物、水辺に生える草花、淀みに見えるゴミ……。その場だけでなく、この場所がたどってきた「履歴」についても思いを巡らせてみてください。

「E&I」を携えて、いざ出発です。

②中野サンプラザ

まずは中野サンプラザ。
天神川のクイズ、略して「天Q」なども交えて、楽しいツアーが始まりました。

まず中野サンプラザ前で最初の説明がありました。

今回のツアーは「天神川」をめぐるものです。

天神川の水源について
天神川の水源は、中野サンプラザ前あたりだったと考えられています。明治44年の地図を見ると、天神川がかつて桃園川の支流として周辺を流れていたことが記録されています。このあたりは江戸時代、犬を飼育するための囲いが設けられていた場所で、そのために多くの井戸が掘られており、水が豊富な土地でした。そうした環境が天神川の発生につながったと考えられています。ただし、水源については明確な資料が残っておらず、現時点では推測の域を出ません。

暗渠マニアックスさんのツアーの定番「天Qクイズ」では、サンプラザ周辺にまつわるさまざまな豆知識が出題されました。

陸軍中野学校の話
20世紀初頭、この土地にはスパイ養成学校として知られる陸軍中野学校が建てられました。その後、公の土地となり、中野区役所などの公共施設へと変わっていきます。陸軍中野学校の第1期卒業生のひとりが、終戦後29年間フィリピンのルバング島に潜伏し続けた小野田寛郎です。他の学校では「国のために死ね」と教えられていた時代に、中野学校だけは「国のために生き延びろ、生き延びて地下活動を続けろ」と教えていた。だから小野田さんは昭和49年まで生きることができたのかもしれない——それが中野学校スピリットだ、というお話でした。

「たかはら」という地名
「たかはら公園」や「高原ガード」など、「たかはら・高原」という地名がこの周辺に多く残っています。「高」は高円寺あたり、「原」は中野あたりを指し、その2つを組み合わせた合成地名といわれています。実はこのあたりには、かつて丘を越えた反対側にも桃園川へ注ぐ支流が流れており、暗渠マニアックスさんはこれを「高原支流」と呼んでいます。

中野と沖縄のつながり
中野では沖縄に関わる祭りやイベントが多く行われています。その背景には、1970年、中野区の青少年課が「地方出身者が集まれる場所をつくろう」という政策を始めたことがあります。最初に選ばれたのは沖縄県・新潟県・青森県の3県で、5年後の1975年には16都道府県に拡大しました。沖縄については、金城唯温さんという方が自宅を週に一度以上開放し、沖縄出身者が集まる「沖縄郷土の家」として機能していました。県内の広報誌にも地図と電話番号が掲載され、「上京したらこの人を訪ねよ」と周知されていたそうです。

なぜ中野だったのか。高山さんによれば、中野という街は昭和27年の時点ですでに「中野懇談会」という市民団体が結成され、労働問題・水爆反対・ベトナム戦争反対・沖縄返還問題まで積極的に議論していた、革新気風の強い街でした。国鉄中野電車区という一大労働拠点もあり、区議会から時の内閣・鳩山首相へ要望書を提出したこともあったそうです。そうした中野の市民スピリットが、沖縄の人々に手を差し伸べることにつながったのかもしれません。

中野サンプラザでの説明が終わると、トコトコ歩いて行きます。

中野通りからサンモールへ続く路地

中野北口一番街商店会をぬけていきます。

③第二力酒造

第二力酒造前

第二力酒造の前を通過。第7まであるそうで、第7は上板橋、第6は三鷹(現在は再開発で消滅)、第4は縁起が悪いとして存在せず、第3・第5は所在が不明とのこと。第1力酒造は新井薬師の駅前にあり、現在は「焼肉チカラ」という焼肉屋として営業中。店内には今も「第一力酒造」の看板が残っているそうです。

④ライオンズプラザ中野

建物の中に入っていくと!
なんと池があります。

このあたりが、天神川の水源に最も近い場所とのこと。

ライフスーパーマーケットの横の細い道を入っていきます。

ライフスーパーマーケットを右手に見ながら先へ進み、細い路地へと入っていきます。かつてここに川が流れていたことを想像しながら歩きました。

途中、道沿いに水が張られた小さな空間を発見。「謎池」と高山さんが呼ぶこうした場所は、もしかしたら持ち主が川を偲んで水を張っているのかもしれない——と想像が広がります。

また、かつてこのあたりには「打越湯」という銭湯があり、その排水が天神川に流れ込んでいたという証言も。清らかな小川だったのが、銭湯の排水が混じるようになって湯気が立ち、次第に汚れていった——と当時を知る方が語っていたそうです。

⑤コーヒー豆貞 中野

 コーヒー豆貞に到着!

豆貞さんは暗渠の上にあるカフェで、暗渠マニアには暗渠に浸りながらコーヒーが飲めるスーパースポットです。このツアーに参加して、暗渠に思いをはせながらコーヒーを飲みに通うようになった人もいるとか。

コーヒー豆貞
https://www.instagram.com/coffee_mamesada

⑥天神湯

天神湯に到着!

天神湯の目の前には、かつて天神川が流れていたそうです。

中に入ると、店主のご夫婦が案内してくださいました。奥様のよしこさんのお父様(旧姓:渡辺)は、渡辺商会として複数の銭湯を経営しており、天神湯のほか、近くの「久水の湯」や「四季浴場」なども手がけていました。各地で銭湯を渡り歩いた末、中野のこの地に腰を据えたのが1930年(昭和5年)のことです。

薪で湯を沸かしていたため、大きな煙突がありました。

当初は薪や鉋屑などを燃やして湯を沸かしており、大きな煙突がありました。その後、重油、そして現在のガスへと燃料が変わり、煙突も小さなステンレス製のものに。現在の建物は昭和30年頃の建築とみられ、梁や窓のガラスなど、当時のままのものも多く残っています。古い写真を見せていただきながら、当時のお話をうかがいました。

天神湯
http://tenjin-yu.tokyo/JN/
https://www.instagram.com/nakanotenjinyu

⑦石原たばこ店・中野区中野5丁目 路地

打越天神北野神社の向かいにある石原たばこ店。店主の石原さんに、天神川がまだ蓋をされる前——開渠だった頃のまちの様子を聞かせていただきました。

「ここに、川があって、その上に橋がかかっていたんだよ」

家庭の排水がすべてこの川に流れ込んでいたため、地元では「ドブ川」とも呼ばれていたそうです。分流式ではなく、食器を洗った水も、野菜くずも、何もかもが川へ流れていく時代。それぞれの家の前にはドブ板が渡してあり、商店街の店先もその板を踏んで入る仕組みになっていました。

「この細い隙間は、僕が小学生の頃は水路だった」

石原さんはツアー当時78歳。小学校3〜4年生の頃にはすでに蓋がされていたといい、川が流れていたのは70年近く前のことになります。東京オリンピックの頃にはもうなかったそうです。

また、このあたりにはかつて「金子染物店」があり、染料の排水も川に流れ込んでいたとのこと。銭湯の湯、染物の色水……様々なものを受け取りながら流れていた川の姿が、少しずつ見えてくるようでした。

石原さんのお話は暗渠だけにとどまらず、かつてこのあたりが商店街として賑わっていたこと、新井薬師への参道を馬が歩いていたことなど、当時の風景が目に浮かぶような記憶を語っていただきました。

その後、暗渠を見つけるヒントを教えてもらいながら、天神川沿いに南に下っていき、桃園川(現在の桃園川緑道)へ進んでいきます。

ここは水路だったのかな、、、、と。
みんなで想像を膨らませながら歩きました。
豊川稲荷付近は天神川とその支流が交わり、元からあった道路と合わせて複雑な道になっている。
有機的に曲がりくねっている道が川の跡。
「マンホールが多い」というのは下に暗渠があるかもしれないサイン。
段差になっている家の入り口は、前に川があったサインにもなりうる

⑩〜⑬桃園川緑道について

桃園川へ到着!早速天Qクイズ

こちらでも天Qクイズ!桃園川緑道の地下には「桃園川幹線」と呼ばれる大きな下水管があります。その断面のサイズは


なんと、幅6m×高さ3.5m !

これほどの規模でも、このあたりはまだ洪水が起きてしまうため、近くに多くの貯水池が整備されています。緑道を歩きながら耳をすませると、どこかで水の音が聞こえる場所もあります。

途中で見つけた段差。これは、暗渠サイン?


桃園緑道を歩いていると、耳をすませば水の音が聞こえる場所もあります。

⑭谷戸運動公園

現在は運動公園となっているこの場所は、城山居館跡とも伝わり、かつて中野を治めていた方のお屋敷があったそうです。当時の風景に思いをはせながら、中野秘密基地へ向かいました。戦国時代には戦国大名・後北条氏領中野五郷を治める小代官を務めた堀江氏の土豪屋敷があり、のちに「城山(しろやま)と呼ばれるようになり、戦国末期の城山は、小城砦を兼ねた土豪屋敷であったと考えられています。
「谷戸(やと)」という名称自体が、この土地の起源を物語っていて、丘陵地が侵食されてできた谷状の地形を指す言葉で、かつてここには桃園川の湧水が流れる谷あいの地が広がっており、野方丘陵の東南端にあたる、水利に恵まれた場所だったと思われます。

谷戸運動公園から中野秘密基地まで。道中の景色も楽しい。

中野秘密基地でのおはなし

ツアーの後は中野秘密基地で、暗渠の知識とあわせて、中野の昔ばなしなどのお話を聞かせていただきました。

高山さんの暗渠との出会い方──地図で見つける5つの方法

道の乱気流——地図上でグニャっと蛇行している道を見つけたら、川だった可能性を疑ってみる。
水の後先——川が地図上でプツリと切れている場所は、その先に暗渠が続いているサインかもしれない。
細道・はしご道——川だった場所を道にする際、中央にグリーンベルトを設け両脇に道をつける「はしご道」が残っていることがある。
土地割り——住宅の区画が不自然に歪んでいる場所は、かつての水路の痕跡かもしれない。
名残地名——川も橋もないのに「○○橋」という交差点名や地名が残っている場所は、かつてそこに橋があった証拠。

暗渠との出会い方:現地で見つける5つの方法

段差・高低差——わずかな地形の起伏が、かつての谷筋=川筋を示すことがある。
細さ・太さ——不自然に細い路地や、周囲と幅が異なる道は、川だった場所の名残である可能性が高い。
地面のテクスチャ——路面のひび割れや舗装の質感の違いは、地下に構造物(暗渠)があることで生じる「フリク(不陸)」のサイン。
水に縁のある施設——銭湯、染物屋、氷屋などは水が必要な商売。その近くには川があったと考えられる。
地元の人の話——今日のように、川が流れていた時代を知っている方に直接話を聞けることがある。あと10年経てば、今日のような話を聞ける機会は失われていたかもしれません。

なぜ暗渠が増えたのか

高度経済成長期、田んぼや畑は工場・住宅へと変わり、道路はアスファルトで覆われていきました。水が地中に染み込む場所を失い、川は氾濫を繰り返すようになります。かつて「恵み」だった川は、次第に「災いの元」とみなされ、「近代化」の名のもとに次々と埋め立てられていきました。なお、暗渠化のきっかけは高度経済成長期だけでなく、関東大震災・東京大空襲の復興時に瓦礫で埋められたケースや、バブル前の再開発なども重なっています。

「人はみな、心の中に暗渠を抱えている」

暗渠とは、ひっそりと目立たない場所を流れながらも、誰からも振り向かれることなく、静かに、しかし確かに存在し続ける水の道。その姿は、誰しもが心の奥にしまい込んでいる、普段は表に出さない部分のメタファーでもある——と高山さんは語ります。よく探せば、見えないところでも今も水が流れていたり、聖なる水の痕跡が残っていたりする。それはもしかすると、川のプライド、川の尊厳の現れかもしれない。そこに気づいた時、「自分の心の中にも暗渠があるのではないか。人は皆、心の中に暗渠を抱えているのではないか」と感じるようになった——と、高山さんは語ってくれました。

散歩の変遷——「エンジョイ」から「プライド」へ

散歩が「趣味」として認められるようになったのは1990年代のこと。『ぶらり途中下車の旅』や『散歩の達人』などをきっかけに、まちを「楽しむ(エンジョイ)」文化が根付きました。2008年に『ブラタモリ』が始まると、まちを「学ぶ・知る(ラーン)」散歩が広まります。さらに今は、まちを「発見する(ファインド)」——自分の視点で見つけてSNSで共有し合う——という段階に来ている。そしてこれからは、まちを「誇りに思う(プライド)」散歩の時代が来るのではないか、と高山さんは言います。

暗渠マニアックスさんの案内を通して、中野というまちをより深く、より近く感じることができました。気づけば、このまちのことを大切に想い始めている自分がいる。まさに、まちに「プライド」を見つける散歩体験でした。

吉村さんのディープ・ダイブ──地図と地名の重なりを読む

高山さんのレクチャーに続き、暗渠マニアックスの吉村さんから、天神川周辺の地域史をさらに深く掘り下げたお話をいただきました。地図と写真を重ね合わせながら、川の痕跡の先にある、まちの幾重にも重なった履歴を探っていきます。

天神川の水源と、永世屋の井戸

天神川の水源候補について、吉村さんは「ライフスーパーマーケット周辺よりも、もう少し位置がずれる可能性がある」と話します。このあたりにはかつて永世屋という酒屋があり、その敷地の中に井戸が残っていました。この井戸は『ブラタモリ』でも紹介されたことがあり、江戸時代のお囲い(犬の飼育施設)に水を供給していた井戸のひとつではないかといわれています。現在この周辺は再開発が進んでいますが、永世屋のご主人との話し合いの結果、この井戸は再開発後も何らかの形で残される方向になったそうです。まちの水の記憶が、地中に消えることなく、次の時代へ引き継がれることになりました。

谷戸ガードと「谷戸」という地名

線路をくぐるガードのひとつに「谷戸ガード」という名前が残っています。「谷戸(やと)」とは、台地に刻まれた谷状の地形のこと。地名そのものが消えた後も、こうしたガードの名前にひっそり生き続けているのは、暗渠の「名残地名」と同じ現象です。天神川がこのガードの下を流れていた時代には、線路の下に川を通すための構造があったと考えられています。

ツアー当日説明資料より:谷戸地域昔マップ

白金龍昇宮と白蛇伝説

このあたりの地域史でとりわけ印象的だったのが、白蛇にまつわる話です。かつてこの周辺にあった池を埋めた際、白い蛇が現れたとして、昭和24年に「白金龍昇宮」というお宮が建てられました。白蛇はアルビノの蛇であり、日本では古来、神の使いとして各地で祀られてきた存在です。その後、信仰は山手通り沿いの三角地へと移され、現在もそこに祀られているとのこと。
その白蛇ですが、かつてサンモール商店街に存在した「まむしや龍昇堂」というへびの店に預けられて、そこで死んじゃったとの口述記録もあるとか。

ツアー当日説明資料:白蛇伝承



ツアー当日説明資料:昭和32年のサンモール


境内にある『白金龍昇宮由来』と書かれた案内板には、以下のように記されています。
日本の国土は龍体の姿をしておりますのでこのお宮には、昭和二十四年中野区城山町に現れました黄金の龍を国土の神としてお祀りしてあります。国土を祀らずしては平安の来るはずもありません。ここに日本の国土を祀り国家の安泰をはかり世界人類の幸福をお祈りしております。


ツアー当日説明資料:白銀龍昇宮の看板

城山と太田道灌

ツアーで訪れた運動公園(⑭)の地名についても、吉村さんから補足がありました。かつてこのあたりは「谷戸(やと)」という地名でしたが、ある時期に「城山」へと改められています。資料には「太田道灌の家臣がここを城山とした」という記述があるものの、吉村さんは「太田道灌との関係は可能性として示されているだけで、断言はされていない」と慎重に添えてくれました。歴史の記述が、時に後の時代に盛られていくこともある——暗渠の探し方と同じく、「証拠」と「想像」を分けて読む眼が必要だと感じさせられました。

マルマンの跡地

少し川から離れた話として、天神川周辺にはかつてスーパー「マルマン」があり、「シャンブルマルマン」という建物の名前にその記憶がひっそり残っています。地名と同じように、施設名にもまちの来歴が刻まれている——そんなひとコマでした。

吉村さんのお話は、地図を時代ごとに重ね合わせ、そこに生きた人々の暮らしの断片を拾い集めていくような、スケールの異なる面白さがありました。同じ「暗渠を歩く」という行為でも、俯瞰する高山さんと、深く潜る吉村さん、それぞれの視点が重なることで、中野というまちの奥行きが立体的に見えてくる。そんなツアーでした。


このアーカイブ記事は、ツアーの当日に暗渠マニアックスさんがお話してくださった内容をもとに、中野秘密基地が書いています。

案内人:暗渠マニアックスの高山さん、吉村さん
動画撮影:黒木正道
動画編集:山﨑凪沙
ブログ記事執筆/編集:山﨑凪沙・山本真梨子

暗渠マニアックス
https://www.ankyomaniacs.com/
『まち歩きが楽しくなる 水路上観察入門』(KADOKAWA)、『暗渠パラダイス!』(朝日新聞出版)、『暗渠マニアック!増補版』(筑摩書房)、『「暗橋」で楽しむ東京さんぽ 暗渠にかかる橋から見る街』(実業之日本社)など

English Summary

Walking the Hidden River: A Tour of Nakano's Lost Tenjingawa

November 16, 2024  |  Nakano Himitsukichi

On a cloudy November afternoon, a group of curious explorers gathered at Nakano Station's north exit — not to visit a museum or a temple, but to search for something invisible: a river that no longer exists on any map.

The event was "Nakano Himitsu no Tenjingawa Tour" (The Secret Tenjingawa River Tour), guided by Ankyo Maniacs, a duo dedicated to exploring Tokyo's ankyo — rivers that were buried underground during Japan's rapid postwar urbanization. The Tenjingawa was once a small tributary that flowed from near Nakano Sunplaza into the Momozono River, but was filled in roughly 60 years ago. Today, no trace of it remains above ground. Or does it?

Our guides, Takayama-san and Yoshimura-san, taught us to read the city itself as a document. They introduced two lenses: Evidence and Imagination. Evidence means spotting clues — a road that curves for no apparent reason, an unusually narrow alley, an abundance of manhole covers, a front door with a mysterious step up. Imagination means picturing what once was: the sound of flowing water, the steam rising from a neighborhood bathhouse, the colors of a dye shop's wastewater.

The tour wound through some of Nakano's most storied corners: the site of the old Nakano Sunplaza (built over what was once a military school for undercover agents), the interior of a still-operating sento (public bathhouse) called Tenjin-yu, whose owner shared memories of the river flowing just outside her door in the 1930s, and a local tobacco shop whose 78-year-old proprietor recalled playing beside the open canal as a child before it was covered over in time for the 1964 Tokyo Olympics.

"There was a bridge right here, and a river flowing under it," the shopkeeper told us, pointing to what is now an ordinary narrow lane. "We called it the ditch."

After the walk, the group gathered at Nakano Himitsukichi for a deeper dive. Takayama-san reflected on why hidden rivers resonate so deeply: "Everyone carries their own ankyo," he said — a part of themselves that flows quietly, unseen, but still very much present. Yoshimura-san followed with archival maps and local records, tracing legends of a white snake deity enshrined after a nearby pond was filled in, and a wartime ice shop whose meltwater once fed the Tenjingawa.

By the end of the afternoon, the ordinary streets of Nakano felt completely different — full of memory, story, and the quiet persistence of water that refuses to be forgotten.

Guides: Takayama-san & Yoshimura-san (Ankyo Maniacs)
Video: Kurokita Masamichi  /  Editing: Yamazaki Nagisa
Report: Yamazaki Nagisa & Yamamoto Mariko (Nakano Himitsukichi)

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